東京の街散歩

TOKYO NO MACHI-SANPO

浮世絵で隅田川大花火

浮世絵で隅田川大花火

 

 先日の話ですが、東京メトロ銀座線でホオズキの鮮やかな実が目につきました。見るとホオズキとともに亀十の袋とペリカンの袋も。なるほど浅草寺の四万六千日のお参りの後雷門を出て田原町まで足を延ばされたのでしょう、するとお昼は天丼か天ぷらそばか、いやいや意外にカツ丼か牛丼かもしれませんなんて勝手に庶民的な浅草名物で妄想の世界に浸ってしまいました。

 なんとも梅雨寒で実感に欠けるのですが、ほおずき市が知らせてくれるように暦は確実に夏を迎えています。東京の夏と言えば隅田川花火大会も楽しみです。

 江戸東京博物館でもその賑わいを巨大なジオラマで実感させてくれる隅田川花火大会の前身の両国川開大花火。その賑わいの様子をより細かく浮世絵で楽しめる特集展示を「すみだ郷土文化資料館」で見つけました。

 花火にまつわる資料も興味深いのですが、なにより浮世絵に生き生きと描かれた風俗に魅かれます。花火見物に的を絞った、絵の中に没入できる展示はお勧めです。

 すみだ郷土文化資料館は、とうきょうスカイツリー駅を、スカイツリーを背に隅田川は言問橋に向かったところに立派な建物を構えています。些か展示はこじんまりですが観覧料100円となっています。

 

舩津 孝

 

地下鉄東銀座駅・歌舞伎座

信州飯田の水引

 

 東京の地下を見事なほどの複雑さで巡っているのが、東京メトロと都営交通の地下鉄です。地下鉄の利便性の一つに、その構造から様々な施設に地下で直結している点があります。

 東京メトロ日比谷線と都営浅草線の乗換駅でもある東銀座駅は歌舞伎座に直結しています。日比谷とか浅草とか、更には東銀座で歌舞伎座と観光には心躍る単語が並びますが、それはともかく駅を抜けるとそこは歌舞伎座の地下2階、木挽町広場というスペースです。コンビニエンスストアや老舗のお弁当屋さん、コーヒーショップもあり便利な空間を賑やかにしているのは様々なお土産屋さんの出店です。

 そんな中、信州飯田の水引との看板の下で職人さんの見事な口上で我が家の家紋の由縁を聞き、ほうほうなるほどと頷いた後水引の話も伺った。

 結ぶという日本の文化を体現する一つが水引細工。さっと結んでくれた梅の花は正面から見ると中心が魔よけの五芒星で、子どもたちの無事を願っているのだそう。そして解けない蝶々結び。

 江戸時代、山深い信州飯田では、囲む豊富な山林は天領でありそれを生かすことはかなわず藩を維持する産業に窮していた。そこで藩主は、かねてより品質の良さが評判の和紙作りを発展させ、それを結った元結や水引の生産を始めたのだという。なにしろ信州飯田は日本を東西に分ける天竜川沿いであり、軽量な和紙加工品を日本各地に出荷する地の利にも恵まれていたこともあって、一般庶民には贅沢品だった水引はともかく、髷を結う元結は全国シュア50%を超えるブランドに成長したのだそうです。

 髷を落とした明治以降も生産の主軸を水引とし今も続く確固たるブランドを維持する信州飯田の水引なのですが、現代でもなお常に髷を結う必要の場所には元結も納品され続けていると職人さんは言います。そのご縁でこちらに出店していますと、なるほどです。

 

舩津 孝

 

東京都中央卸売市場 築地市場

東京都中央卸売市場 築地市場

 

 いよいよ築地市場の営業が終了です。繁華街に隣接するという特異な立地に、実は意外にお洒落な石畳の床を持つ、鉄道輸送時代の名残の大きく弧を描く築83年の、鮪のセリに代表される世界的観光名所の築地の市場が閉場します。

 11か所ある公設の東京都中央卸売市場の一つである築地市場はその業務を豊洲市場に移転する、事務的に表現すればそういう事なのですが、そこは昭和のオジサンとしては慣れ親しんだ築地という言葉に郷愁と一抹の寂しさも感じるのであります。

 築地市場は当然「市場」ですから、例えば場外市場の店舗からも分かるように青果や漬物、鳥卵等の取り扱いもありますが、やはり築地と言えば、世界最大の取り扱い金額をほこる魚市場がその代名詞でしょう。なにしろ好物の団子屋さんの包装には“築地魚がし”って書いてありますしね。

 『東京の技・食』にそんな築地市場の鮪仲卸を加えました。築地の記憶を兼ねて写真は少し多めです。鮪の仲卸とは、バイヤーであり、そして、止まることなく高速で泳ぎ回る巨大魚を料理人が求める高級食材へと生まれ変わらせる職人たちでもあります。その技と目利きによって切り分けられた“食材”が肉質への的確な助言とともに料理人の手に渡され、“料理”されて我々の口を楽しませてくれるのです。とは言え、なかなか楽しむ機会に恵まれないのは、まあ、それはあくまで個人的都合です。

 豊洲へと市場は移転ですが、仲卸たちには、それは引っ越しです。場所が変わっても職人たちの技は変わらないのですから、きっと、暫くすれば『豊洲魚がし』がアッタリメェーになるのでしょう。今のまま留まり名前も変わらない『築地場外市場』が築地ノスタルジーを受け止めてくれますし。

 

舩津 孝

東京都水道歴史館

東京都水道歴史館

 

  水が恋しい。
残暑というには些か、いやいや大分おこがましい猛暑の毎日です。少しでも涼をと水を話題にというわけで、博物館の話題が続いてしまう点はご容赦を願って、『東京都水道歴史館』へのお誘いです。

 東京都水道歴史館とは、東京都水道局のPR館の一つですと資料にあります。とはいえ明治時末期に淀橋浄水場内に開館した模型室を前身に持ち、なにしろ江戸時代に世界最先端の都市型水道を作り上げた江戸東京の、水道局ですから、博物館として十分に好奇心を満たしてくれる展示内容です。しかもPR館ですから入館無料ですし、入口すぐの石と水のオブジェに流れる水音が、水琴窟のようとは少々言いすぎですが、館内に響き心地よいのです。

 展示は順路をたどって2階の江戸上水から1階の近現代水道となっており、実物や模型、相変わらず細部にこだわったジオラマが、楽しめます。逆に言えば水道の事だけで間が持ってしまっていることにも感心させられるのでもあります。

 東京都水道局本郷支所内に本郷給水所公苑に隣接するこの東京都水道歴史館へのアクセスはいろいろ考えられますが、ここはJR水道橋駅より水道橋で神田川を渡り、少し坂を上がって向かうのが気分です。ただ歴史館には、最近江戸切子風にラベルデザインをリニューアルした、ご自慢の『東京水』の販売も自販機の用意もありません、暑いさ中にはご注意くださいませ。


舩津 孝

 

東京都江戸東京博物館

東京都江戸東京博物館

 

雨の日は江戸へ。

梅雨の季節。
雨もまた乙なもので、傘をさしての散歩もまた良し。
などと達観には程遠く、せっかくの休日も出不精を決め込んでしまいがちです。

そんな時は、雨にぬれずゆっくりと歴史散歩などいかがですか、とお誘いです。

東京都江戸東京博物館。文字にするとなんとも“くどい”名称です。東京都民としては、ここは更に東京都営大江戸線に乗ってむかうのが正しい姿なのかと、思案しどころですが、国技館に並んで建つこの通称「江戸博」は、大江戸線は勿論、お相撲ワールド全開のJR総武線両国駅、そしてクルマと雨の日でもアクセスは良好です。何で向かわれるにしてもJAFの会員証をお持ちでしたらお忘れなきように、お得に入場できます。またお出かけの時ついつい大荷物になってしまう方は小銭のご用意も、1Fのチケットカウンターの裏手に、使用後にお金が戻るコインロッカーがあります。ちなみに壁側のものは大容量ですので身軽に江戸博探索が楽しめます。

江戸博の常設展は、徳川家康が江戸に入府してからの約400年の博物館です。大きな吹き抜けの空間に掛かる実物大の白木造りの日本橋を渡り江戸へ、そして展示の順を追って現代の東京へ戻ってくるという構成です。このタイムスリップの起点となる「日本橋」をはじめ実物大の再現模型やマニアックなこだわりで再現されたジオラマ、ダイナミックに可動する展示、体感できる展示物などテーマパークなみの充実度とここは言い切ってしまいたい、まああくまでも個人の感想ではあるものの、常設なのに、何度行っても楽しいのですから。

ただ、江戸っ子の血が騒いで、例えば町火消の纏を振ってみたいとか、棒手振の天秤棒を担いでみたいとかの欲求には、大盛り上がりの小学生たちや外国人観光客に馴染み込む些かの勇気の持ち合わせも必要です。

 

舩津 孝

 

酉の市

酉の市

早いものでもう11月。時の流れが一層加速しているように感じるのは、きっと自分の加齢のせいかと少し淋しいのは、まあ余談です。
 
11月といえば、酉の市。今年は三の酉までで、一の酉は11月6日。酉の市といえば熊手と威勢のいい手締めの立冬の頃の風物詩です。三の酉まである年は火事が多いなどとよく言われますが、きっと火を使うことが多くなる時期への注意喚起なのでしょう。
 
一の酉の日の午前零時の一番太鼓を合図に始まる神祭が酉の市です。正しくは「酉の祭(とりのまち)」なのですが、いつからか「まち」に「市」の字があてられて定着したということです。境内に所狭しと熊手が賑やかに並ぶさまはまさに文字通りですね。
 
その縁起熊手、年ごとに徐々に大きいものに買い替えて繁栄を願うのですが、あちらこちらからの熊手屋との値切りのやり取りと商談成立の手締めを聞くとついつい見栄を張りたくなります。かつては値切った分はご祝儀として店においてくるのが粋な買い方と、少しだけお大尽を気取るのが江戸っ子の見栄だったようです。
 
 「おとりさま」と愛される、千束の鷲神社へは入谷駅から向います。初夏の風物詩であるところの朝顔市の鬼子母神とは反対方向へ、少々寂しい通りを暫く行くと急に人通りやクルマが増える国際通りに、そして無数の提灯とお参りの人たちの大行列が見えてきます。花畑の大鷲神社と並んで江戸から続く鷲神社の酉の市は、最も多くの熊手屋の出店と人出だそうです。
 
 魅力的な露店たちに挟まれた参道を、人波にゆっくりと揉まれながら先ずはお参りし、酉の市の時だけの熊手御守「かっこめ」を授けてもらったらいよいよ熊手屋巡り。高々と掲げた大きな熊手や威勢の良い手締め、粋な旦那衆を眺めるだけでも楽しい“酉の祭”。我が身の丈にあった小さな熊手を見栄とのはざまで選ぶとき、きっと江戸庶民もそうだっただろうと思いをはせられるのも酉の市です。

舩津 孝

甘い誘惑

和菓子

 

 なにも今更改めてカミングアウトもないのですが、私、実は甘党です。つまり甘いモノに目が無いのであります。もちろん塩分や糖分の摂取量が健康を左右する年代であることは重々承知していながらも、例えばコンビニエンスストアのレジ横の誘惑についつい逡巡してしまうのであります。
 
 私の場合、甘いモノ好きなのは遺伝とかの生物学的な要因ではなく、いや勿論それもあるのでしょうが、生活習慣というか環境が主因だったのではと今にして思うのです。なにしろ、同様にやはり甘党だった父は帰宅時に何かしらの甘味を買って来るというのが我が家の日常でした。さすがに毎日という事では無かったと記憶していますが、その頻度はそれに匹敵していたのは間違いの無いところです。
 
 父の手土産は、きっとその時の気分や体調で決まっていたのだろうと想像するのですが、ホカホカのたい焼きだったり団子だったり、ケーキだったりと飽きないチョイスでした。そして意外に高頻度のローテーションだったのが和菓子の上生菓子だったのです。
 
 小さくて、ずっしりとして、細かな細工の施された優しい色のその菓子は、幼かったころの私にとっても少し特別でした。父や母を真似て、生意気に、食べる前に興味津々で上から眺めたり横から見たり、季節感を表したその細工や色のグラデーションを楽しんでから少しずつ黒文字で切り分けて食べていました。
 
 職人の掌の中で、まさに拵えられる上生菓子は食べられる美術品と言うところですが、なにより、上生菓子をはじめとした和菓子は油脂類を含まない分、すこし言い訳のたつ甘いモノでもあるのです。

 

舩津 孝

風情

風情

 

 なんとも今更な気がするものの、先日のニュースで日本全国が梅雨明けを迎え、本格的な夏の到来だと伝えていました。些か暑すぎる最近の日本の夏ですが、それでも日が落ちて、チリンと軒下の風鈴が鳴ったりするとふーっと気持ちが落ち着いたりするのは、日本人だからでしょうか。

 その職人を初めて撮ったのはもう20年以上前のこと。百貨店の伝統工芸の広告写真用に江戸川の篠原風鈴本舗に職人篠原儀治を訪ねました。ガラス製風鈴の職人さんで、江戸風鈴の名付け親です。

 その名の通り、江戸の頃から続く吹きガラスの風鈴、宙吹きという技法作られたガラスの外身に内側から施された絵付けと、チリンと余韻を引かない音色が特徴です。最初に撮影した当時は今より狭い作業場で、コークスが1,300度にも燃え上がった炉の中から、ともざおで巻き取った溶けたガラスを、職人は上を向いたり下を向いたりしながら吹き込む息の量と地球の重力で丸い風鈴へと膨らめていました。

 篠原さんが曰く、「風鈴が鳴ったからって涼しくなる訳は無いさね、カランと鳴って風が来たことを知らせてくれるのさ。風が吹きゃあ少しは涼しくなるから。」 なるほど、と頷いていたら、「風情ってやつだね。」と江戸風鈴職人は笑っていました。

 

舩津 孝

記憶と記録と、憧憬と。

 

「東京の技」という些か大仰な名称のウエブサイトを起ち上げました。フォトグラファーの眼からの職人技のアーカイブが目的のサイトです。
 
幼かったころ、家に時々やってくる“職人さん”という人たちに憧れを持っていたのです。なにしろ何やら道具をささっと扱って、母が求めた飾り台や、父のスーツを拵えていくのですから、それはもうワクワクでした。大人になってフォトグラファーという職業に就いたことで幸いにも日本中の様々な職人技に触れる機会にも恵まれたわけですが、実は、相変わらず内心ワクワクだったというのは、内緒です。
 
長い伝統に裏打ちされた職人技は、多くの場合それらしいローケーションの中にあるわけです。例えば広告写真用に“お六櫛”を撮影に向かうと、コーディネーターの運転する車はヒノキの森の山道をどんどん進んで行くんです、木曽路はすべて山の中かなんて島崎藤村を気取っていると白い蕎麦の花に囲まれた仕事場が見えて来て、フォトグラファー的にニャついたりするわけです。
 
ところが東京は、最先端と伝統が、しかも両極端で共存しています。変化が激しい大都市ながら、江戸という冠詞のついた伝統の職人技はもちろん、実は先端科学を支える、小津安二郎の映画に出てきそうな町工場が、まだ東京には沢山あるのです。
 
改めて撮り下ろした写真で、今の記録として、そしてワクワクのお裾分けを感じていただけたらと考えています。

 

舩津 孝