東京の街散歩

TOKYO NO MACHI-SANPO

酉の市

酉の市

早いものでもう11月。時の流れが一層加速しているように感じるのは、きっと自分の加齢のせいかと少し淋しいのは、まあ余談です。
 
11月といえば、酉の市。今年は三の酉までで、一の酉は11月6日。酉の市といえば熊手と威勢のいい手締めの立冬の頃の風物詩です。三の酉まである年は火事が多いなどとよく言われますが、きっと火を使うことが多くなる時期への注意喚起なのでしょう。
 
一の酉の日の午前零時の一番太鼓を合図に始まる神祭が酉の市です。正しくは「酉の祭(とりのまち)」なのですが、いつからか「まち」に「市」の字があてられて定着したということです。境内に所狭しと熊手が賑やかに並ぶさまはまさに文字通りですね。
 
その縁起熊手、年ごとに徐々に大きいものに買い替えて繁栄を願うのですが、あちらこちらからの熊手屋との値切りのやり取りと商談成立の手締めを聞くとついつい見栄を張りたくなります。かつては値切った分はご祝儀として店においてくるのが粋な買い方と、少しだけお大尽を気取るのが江戸っ子の見栄だったようです。
 
 「おとりさま」と愛される、千束の鷲神社へは入谷駅から向います。初夏の風物詩であるところの朝顔市の鬼子母神とは反対方向へ、少々寂しい通りを暫く行くと急に人通りやクルマが増える国際通りに、そして無数の提灯とお参りの人たちの大行列が見えてきます。花畑の大鷲神社と並んで江戸から続く鷲神社の酉の市は、最も多くの熊手屋の出店と人出だそうです。
 
 魅力的な露店たちに挟まれた参道を、人波にゆっくりと揉まれながら先ずはお参りし、酉の市の時だけの熊手御守「かっこめ」を授けてもらったらいよいよ熊手屋巡り。高々と掲げた大きな熊手や威勢の良い手締め、粋な旦那衆を眺めるだけでも楽しい“酉の祭”。我が身の丈にあった小さな熊手を見栄とのはざまで選ぶとき、きっと江戸庶民もそうだっただろうと思いをはせられるのも酉の市です。

舩津 孝

記憶と記録と、憧憬と。

 

「東京の技」という些か大仰な名称のウエブサイトを起ち上げました。フォトグラファーの眼からの職人技のアーカイブが目的のサイトです。
 
幼かったころ、家に時々やってくる“職人さん”という人たちに憧れを持っていたのです。なにしろ何やら道具をささっと扱って、母が求めた飾り台や、父のスーツを拵えていくのですから、それはもうワクワクでした。大人になってフォトグラファーという職業に就いたことで幸いにも日本中の様々な職人技に触れる機会にも恵まれたわけですが、実は、相変わらず内心ワクワクだったというのは、内緒です。
 
長い伝統に裏打ちされた職人技は、多くの場合それらしいローケーションの中にあるわけです。例えば広告写真用に“お六櫛”を撮影に向かうと、コーディネーターの運転する車はヒノキの森の山道をどんどん進んで行くんです、木曽路はすべて山の中かなんて島崎藤村を気取っていると白い蕎麦の花に囲まれた仕事場が見えて来て、フォトグラファー的にニャついたりするわけです。
 
ところが東京は、最先端と伝統が、しかも両極端で共存しています。変化が激しい大都市ながら、江戸という冠詞のついた伝統の職人技はもちろん、実は先端科学を支える、小津安二郎の映画に出てきそうな町工場が、まだ東京には沢山あるのです。
 
改めて撮り下ろした写真で、今の記録として、そしてワクワクのお裾分けを感じていただけたらと考えています。

 

舩津 孝